はないちもんめ

まとまらない

大切な作品ができた瞬間

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』オフィシャルサイト)を観て来ました。

観てきて、やっと、気づいたことがあったのでちょっと書き留めておきます。

 

まず、私これ観る気まっったくなかったんですよね。本当に。むしろなんでハリポタの名前を出してこんな映画作っちゃったの?ってキレてました。

それは私がハリポタは終わった作品だと信じていたから。

私とハリポタの出会いは映画でした。ハリーポッターと賢者の石。ハリーポッターシリーズの第一作品です。それから私はずっと最新作が出る度に映画館に行き、観て来ました。秘密の部屋を見たあとあたりから原作を読み始め、途中で挫折を味わいながらも一応、全作品映画、原作を読みました。

そんな私は、言うなればハリーと一緒に成長し、ハリーと一緒に魔法の世界を、ハリーのホグワーツでの学生生活を一緒に歩んできました。

でも、それは死の秘宝で終わりを迎えます。ハリーと歩みながら、何度考えたでしょうか。なんでこの世界には争いがあるんだろう。どうしてそれをハリーが背負わなければならないんだろう。と。死の秘宝の最後、彼は家族をもちます。その姿をみて、私はやっと、ハリーはこの戦いから抜け出せたのだと。本当に嬉しく思いました。彼には普通の青春は送れなかったし、大人からは常に特別な目で見られる世界で生きてきました。でも、それもある意味なくなったのだと、彼の人生はこれからなのだと。本当に嬉しく、涙を流したことを覚えています。

私が一方的ではありますが、ハリーに普通の、特別ではなく、ごく普通の生活が送れますように。と言う願いが叶ったように思いました。だからこそ、私はハリーポッターシリーズはここで終わりを迎えて欲しかった。その後の話なんて、ハリーは平凡すぎて面白くないって読者に思わせるようなそんな生活を送って欲しかったから。私のなかでそんな思いがずっとありました。

そして、大きな理由。セブルス・スネイプの存在です。私はハリポタの中で一番好きなキャラクターに必ず彼を挙げます。彼こそが、私のハリポタの全てであり、真実だからです。いやマジ一時期子供産みたいと本気で悩んだ時期がありました。すごいよね。私も自分で振り返って本当にすごいと思う。

私は、彼が作中で死んだことにどうして、とは思いません。それが彼の全てであり、むしろ、死ぬことに意味があり、死ぬことこそが彼を彼自身の愛から解放する術であったと思うからです。だからこそ、彼が死んだ世界には私は用はないのです。彼が居るから、それが私の全てになってきていたから。

これが私がどうしてもファンタスティック・ビーストを素直に見れなかった一番の理由だと思います。

セブルスが死んだ、そこに光はないのに、そう感じているのに、私にはセブルスが居ない魔法の世界を楽しめる気がしなかったし、それはまるでセブルスを裏切るような気すらしていました。自分の気持ちを裏切る、そんな感じです。上手く言葉にできないのがもどかしい。

 

ファンタスティック・ビーストが始まって、最初、ハリポタのお決まりのあの曲が流れた時、私は心の中で何故かセブルスに謝罪しました。そして、セブルスを想い、泣きました。

しかし、物語が進むにつれ、私はワクワクしていました。

気づいたら終わっていて、EDでは興奮で足が震えていました。

ああ!神様ありがとうございます!そう思いながら手を組み、涙を流しました。

もう二度と、味わうことのないと思っていた、そう、最初に賢者の石を観た時のように、私はワクワクしていたから。

賢者の石はハリポタの中で一番魔法にワクワクするシーンが多いです。それは、マグルの世界で育ってきたハリーが自分のように思えるから。だから、ハリーが魔法に触れる度に、観ている私たちはワクワクするのです。

まるで、そのワクワクが今、ハリーと共に成長し、ハリーの物語を終えて、大人になった自分が味わえるとは思ってもみませんでした!

ああ、なんて素晴らしいんだろうか。

誰かに、許された感じがしました。これだけハッキリと不特定の誰か、そう、まるで神に許されたように感じたのは初めてだった。

これが、キリスト教の許されたなのかもしれない。とにかく、涙が止まらない。

ありがとう、ありがとう。そんな感謝の気持ちでいっぱいでした。

この感動は、きっと、一度魔法の世界の物語を閉じてしまった私だからこそ、の感想なんだと思います。

この時思ったんです。

私の中でハリポタという作品はすごい大きな存在なんだなって。

自分が思っているより大きな存在に、私は驚いたし、嬉しくも思いました。と、同時にもう少し掘り下げて見て行けば良かったなぁなんて後悔もあります。

私は本当にただハリポタシリーズの原作を読んで、映画を見ただけの奴です。

ハリポタの世界に詳しくはないし、言うたらキャラクターの名前だって曖昧です。ただ、私にはセブルス・スネイプと言う愛する人がいて、その人に溺れていただけの馬鹿な夢女子なんです…。

だからこそ、こんなにもう一度魔法の世界が体験できることを嬉しく思うとは思ってもみませんでした。

嬉しいなあ。嬉しい。とても。

世界は広い。例え、ハリーの物語が終わっても、セブルスの物語が終わっていても、魔法の世界はそれだけじゃない。私たちは、無限に魔法の世界を感じることが出来る。その世界に生きている人間が居る限り、私はもう一度魔法の世界に行けるのだと、そう思えました。

 

ハリポタの良いところって、私善人がいないってところだと思うんですよね。

善人なんていません。誰しもが失敗をし、嘘をつき、自分を可愛がっているのです。

これって、魔法の世界じゃない、私たちの世界でもそうじゃないですか?

マグルとか魔法使いだとか、そういうことは抜きにして、私達は何も変わらない。ただのひとりなんです。だからこそ、感情移入ができるし、より深く魔法の世界に入り込めるのかも知れませんね。

ファンタスティック・ビーストの最後で、「法律は何のためにあるのか」と言う問があります。私はこの問がぐさりと自分の心を刺したような、そんな気分になりました。

常に、私たち人間はこれを考えていかなければならないんだと、感じるのです。

このように沢山の思う所があるのは、私が少なからず大人になったからこそかも知れませんね。

そう思うと、大人になって賢者の石のあの魔法の世界のワクワク感を感じられるだなんて、本当に贅沢だなと思います。

みんなに、ファンタスティック・ビースト超いいから観て!とは言えないし、言ったところで、私みたいに感じることは99%ないから言わないけれど、もし、一つでも似てるなって思ったら、その時は観た方がいいと思います。まあ、普通に面白い作品なのでハリポタ知らなくても全然大丈夫です。

 

もしかしたら、大切な作品って、知らず知らずのうちにできてるのもなのかも知れませんね。今回の私のように。

人それぞれ大切と言うラインが違うので、なんとも言えませんが、すこし、幼少に観た映画を見直すのもいいかも知れません。

きっとそこに、自分の大切な何かがあるかもしれないから。

最後に、ファンタスティック・ビーストを観るにあたって背中を押してくれたフォロワーさん、そして、ファンタスティック・ビーストの制作に関わってくれた方、なによりこの魔法の世界を造ってくれたJ.K.ローリングにありったけの感謝を。

そして、これからもっと、人生をより素敵に変えてくれる、そんな作品に出会えますように。