はないちもんめ

まとまらない

何故私はナチスを知りたがるのか

最近アマプラで、アウシュヴィッツ強制収容所の番組を見た。制作したのはBBCだった。

 

ナチスに興味を持ち始めたのはいつ頃だったか。世界史で習う頃には多少は興味があったように記憶している。

その内、アドルフ・ヒトラーの演説を聞いた。きっかけは忘れたが、当時とても感動したことを覚えている。その頃、私はとある理由で人前に出て話をする機会が増えていた。ヒトラーの演説の仕方がとても上手いことは聞いていたし、純粋に勉強してみたかった。

演説の動画には、解説もついていた。数年前にヒトラーの特集番組の一角だったようだ。そこで、ヒトラーは1人ではないことを知った。

いや、実際はアドルフ・ヒトラー本人は1人なのだが、ヒトラーは決して1人で政治を行っていた訳では無いことをその時初めて知ったのだ。その時、ナチスと言えばユダヤ人大量虐殺だが、じゃあ本当にそれはヒトラーだけが悪いのだろうか。と言う疑念が生まれた。

私は違うと思う。

確かにヒトラーは全ての悪の根源を罪のないユダヤ人に擦り付けていた。

でもそれだけであんな無惨な虐殺が可能になるのだろうか。

そう思いながらこの番組を観た。

全6話。アウシュヴィッツ強制収容所を中心にナチスユダヤ人大量虐殺の過程を追っていく番組だった。

結論から言うと、だいぶ怖くなった。

めちゃくちゃ怖い。そこら辺のホラーよりも怖い。何故ならこれは本当に起きたことだからだ。だからこそ、知らなくてはならないと思った。

いつ、自分が《日本人だから》と言う理由で虐殺対象になるかなんて普通は考えないでしょう?

私はいつも考える。

これはいつ来てもおかしくない未来だと。

 

アウシュヴィッツ強制収容所は初めから絶滅政策の為に作った場所ではなかった。

強制収容所に関して知識がなかった私は驚いた。そうだったのか。

そして、ドイツ以外の国のユダヤ人も虐殺されていたことをこの時知った。

良く考えれば分かることだが、あまりにも多くの国がユダヤ人をナチスへと差し出していた。

そんなことが普通に起きていた。

差し出すことで虐殺されていることを知りながらも、政府は差し出していた。

何故、第二次世界大戦が世界大戦と言うのか。私はこの時初めてその重みを知った。

辛い。辛すぎる。

この辛さを言葉に表すのは私には難しい。

只々恐ろしかった。いつ世界大戦が起こってもおかしくないこの世界で、政府を信じられないこの国で、何を信じて生きていけばいいのか分からなくなった。

大袈裟だなと思うかもしれないが、私はこの恐怖を忘れてはならないものだと大切にしておく。

私が見た番組が正しい情報を言っているとは思わない。隠滅された事実だってあるだろう。

日本だって過去のことは隠滅してばかりだ。

戦争に美しさなどない。

優しさなどない。

そこには、生と死が隣り合わせな緊張感があるだけだ。

それは人の心をすり減らしていく。

思いもよらぬスピードで。確実に。

 

元囚人の方達は言う。

《今日は生きていても明日は死んでいるかもしれない世界》だと。

そして女の人達が口にするレイプの存在。

ドイツ人から逃れたと思ったら、次はロシア人に怯えていたと言う。

終盤になって宛てがわれた、謎の娼婦の存在。

それでもその話は番組の中でもわずかな時間しかピックアップされない。

私たちはそんな世界で生きているのだと自覚する。男女差別の厳しさを此処でも知った。

 

是非、見て欲しい番組だと思う。

何人殺されて、どんな過程で殺されたのか、そしてそこで働いていた人達は何を思っていて、どんな生活をしていたのかが分かる。

私の時代には、授業でさほどナチスについて深く掘り下げることはなかった。

小学生にはとてもショッキングな内容だし、中学生もどうなのだろうとも思うが、高校生にはみて欲しい。

勿論、高校生以外の上の世代にも観て欲しい。

そして、知って欲しい。少しでもいいから。知ることが私たちにできることで、知ることで私たちは誤った道を回避出来るかもしれないから。

戦争を経験していない世代は、こうして戦争への恐怖を感じるだけでも意味のあるものだと私は思う。

 

暫くこの恐怖感は続くだろう。

夜寝るのが怖くて、最近はぬいぐるみを抱いて寝ている。いやもう、本当に怖い。

でも、アマプラにあるから観てみてね。